大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(人)4号 判決 1971年11月11日

請求者 甲野太郎

<ほか一名>

右両名代理人弁護士 西嶋勝彦

同 荒井新二

被拘束者 甲野一郎

拘束者 甲野花子

<ほか一名>

右両名代理人弁護士 久米愛

同 各務勇

主文

被拘束者を釈放し、請求者らに引渡す。

手続費用は拘束者らの負担とする。

事実

請求者ら代理人は、主文と同旨の判決を求め、その理由として別紙(一)、(二)のとおり述べ(た。)証拠≪省略≫。

拘束者ら代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として別紙(三)、(四)のとおり述べ(た。)証拠≪省略≫。

理由

≪証拠省略≫によれば、次の事実が疎明される。

(当事者の身分関係)

請求者甲野太郎、同甲野月子は、昭和三六年九月二日婚姻の届出をした夫婦であり、拘束者甲野花子は右太郎の長姉、同甲野梅子はその次姉であって、いずれも婚姻の経験のない独身者で、肩書地において同居し、花子の出版事業の収入により生活しているものである。そして、被拘束者甲野一郎は、昭和三七年四月一七日請求者らの間に長男として生まれた唯一の子である(以上の事実のうち、当事者の身分関係及び居住関係は、当事者間に争いのないところである。)。

(本件に至る経緯)

(一)  請求者らは、昭和三八年当時請求者太郎の酒癖がもとでその間が円満ではなかったうえに、請求者月子が自宅で美容師として家業である美容院の仕事に従事していたため被拘束者の監護養育に手が回りかね、同年一一月頃拘束者らに未だ二歳に未たない被拘束者の監護養育を委託したこと、

(二)  その後拘束者らが被拘束者が幼稚園に入園するまでの間、引き続き被拘束者を養育したが、請求者らは、時折被拘束者のもとを訪れ、又は被拘束者を連れ帰って親子の生活を楽しみ、拘束者花子の請求に従いその養育費の一部を支弁していたこと、

(三)  請求者らは、入園準備時期を迎え、被拘束者を東京都内で教育を受けさせようと考え、拘束者らと協議して東京都文京区内の幼稚園に入園させることとし、その入園資格をうるため、昭和四一年二月被拘束者を拘束者ら方に転出せしめ、同四二年四月から同四四年三月まで拘束者らのもとから被拘束者を同区内の幼稚園に通園させたこと、

(四)  続いて請求者らは、被拘束者を○○区立○○小学校に通学させることを希望して、拘束者花子にその保護者となることを依頼し、同四四年四月から同四五年七月まで、拘束者らのもとから被拘束者を同小学校に通学させたが、幼稚園入園後の生活費、教育費は、殆んど拘束者花子が全部負担したこと、

(五)  被拘束者は、毎年春、夏の休みを請求者らのもとで過すので、請求者らは新学期の始る前に被拘束者を拘束者ら方に送り届けていたが、昭和四五年八月二五、六日頃、仕事の都合のためこれを果せず、拘束者花子からこれを難詰されて感情的に反発し、かねて被拘束者を引取りたく考えていたが、拘束者花子から種々の経済的援助を受けているため切り出しかねていた請求者らは、意を決して被拘束者を引取る旨拘束者らに伝えたこと、

(六)  同月三一日拘束者花子は、仲介者として親戚の乙村三郎を伴い請求者方を訪れ、被拘束者の通学先を確かめたが未確定であったこと等から、被拘束者の監護養育についてさらに話し合うべく申し入れたが、結論が得られないまま双方主張を繰り返したあげく、激昂した請求者太郎は、棒で拘束者花子に打ちかかり、他方同女は護身用の短刀を抜くなどのことがあって、それぞれ相手方に全治一〇日ないし一四日の傷害を与えたこと、

なお、同日拘束者花子は、乙村を通じ、被拘束者の監護は請求者らがするよう申し入れたので、請求者月子は、三、四日後拘束者方を訪れ、被拘束者の荷物の引渡しを受けたこと、

(七)  そこで、請求者らは、同年九月四日頃から被拘束者を肩書住所地の○○市の自宅から○○小学校に通わせることとし、当初の一週間位は、請求者らが、登下校に付添ったが、それ以降昭和四六年三月一三日までは被拘束者が一人で通学したこと、

(本件拘束の経過及び状況)

(一)  被拘束者は、昭和四六年三月一三日(土曜日)請求者らのもとから文京区内の小石川植物園における校外授業に参加した後、頭痛、疲労を訴えて午後一時前頃拘束者ら方を訪れ、そのまま玄関で寝込んでしまったこと、

(二)  拘束者花子は、同日午後二時三〇分すぎ頃乙村三郎(医師)を介して、その旨を請求者らに伝え、被拘束者の処置については後に話し合うよう申し入れたこと、

(三)  拘束者花子は、同日目覚めた被拘束者から請求者太郎から暴行を受ける等の理由で請求者らのもとに帰りたくない旨訴えられて、被拘束者をみずからのもとに置くこととし、請求者らからの照会の電話に対しては、乙村医師の診察を受けない限り被拘束者を動かすことができない旨伝えてその引渡しを拒絶し、被拘束者も、直接電話で、請求者らに対し、帰宅しない旨を伝えたこと、

(四)  請求者太郎は、右の電話に接して拘束者らが被拘束者を拉致したものと考え、被拘束者を取戻しに行こうとしたが、請求者月子から止められ、翌三月一四日夕請求者月子と共に被拘束者の様子を見に拘束者ら方を訪れたが、門が閉っていたため会えなかったこと、

(五)  その後請求者らは、児童相談所、教育委員会等に行って相談する一方電話で拘束者ら方の近隣に被拘束者の消息を尋ねたりしていたが、昭和四六年三月東京家庭裁判所に対し、親族間の紛争調整の調停を申立て(同庁昭和四六年(家)第一、五八八号)(ただし、本件請求後取下げ)、他方拘束者花子は、同裁判所に対し、請求者両名を相手方として親権喪失審判の申立て(同庁昭和四六年(家)第三、八五二号)をなしたこと、

(六)  拘束者らは、同年三月一五日から五月一七日までの間請求者太郎を恐れて被拘束者を通学させなかったが、前記裁判所調停委員会は、当事者に対し(1)拘束者らは、被拘束者を直ちに○○小学校に通学させること、(2)請求者らは、調停期日間においては、被拘束者の通学状況を知るため同小学校を訪れたり、電話したりしないこととする調停前の仮の処分をなしたので、同年五月一八日以降は、通学し、友人とも往来するようになったこと、

(七)  しかるに請求者太郎は、前記事件の調停が進渉しないのに業を煮やし、同年七月八日、プール帰りの被拘束者を請求者月子が入院したと偽って待機中の自動車に引きずり込み、連行しようとしたが、同人がドアを開け、逃走したため目的を遂げなかったこと、

(八)  これがため、被拘束者は、同日以降その恐怖心から一歩も外出せず、通学には拘束者梅子が付添い、帰宅後は、閉じられた門内で一人で遊ぶので、拘束者花子は、これを補うため隔日に被拘束者を伴って外出していること、

(九)  請求者らは、現在美容師一名を雇用して美容院を経営しているが、昭和三八年ないし同四一年当時に比較して経済的にも余裕ができ、部屋を建増し、請求者月子も被拘束者を監護養育する時間的余裕もできたので、請求者らは、一日も早く被拘束者を膝下に置き愛情をもって監護教育をしたいと考えていること、

(十)  拘束者らは、請求者太郎が被拘束者が意に添わないと感情的になって被拘束者を棒で叩いたりして、恐怖心と敵愾心を植え付け、また請求者月子も幼児期から被拘束者と離れて生活していたため愛情が薄く、同人の意向を汲み、両者の間を調整する能力がないために被拘束者は拘束者に保護を求めて来ているのであり、請求者らに被拘束者を引渡すことは、同人を不幸にすると考えているうえに、同人も復帰を拒むので、引渡を拒否していること。

以上の事実が疎明され(る。)≪証拠判断省略≫

以上の事実によれば、請求者らと拘束者らとの間には昭和三八年一一月頃から被拘束者の監護養育につき準委任関係が成立したが、昭和四五年八月末頃請求者らの解約申入れによってこれが終了するに至ったものというべく(右解約申入れについては、請求者らにおいて被拘束者の処遇について十分な配慮をなしていたものとはいい難く、この点については請求者らにも責むべきものがあるとしても、これをもって解約権行使の濫用といい得ず、他にこれを肯認すべき疎明もない。)、されば、拘束者らが昭和四六年三月一三日以後請求者らからの被拘束者の引渡請求を拒絶して発育途上にある被拘束者を前認定のごとき状況のもとに置くことは、たとえ拘束者らの愛情にもとづくものであり、また他の点について不当がないとしても、一応人身保護法にいう拘束ということができる。

この点に関して、拘束者らは、被拘束者が昭和四六年三月一三日に拘束者ら方にやって来たのは助けを求めて来たもので、拘束者らはこれを保護しているこそすれ拘束はしていないこと、被拘束者が拘束者ら方にとどまり請求者ら方に帰らないでいるのは、同人の自由な意思によるものであると主張するが、被拘束者は、昭和三七年四月一二日に生まれたもので、現在、九歳六か月の子供にすぎず、かつ長年にわたり拘束者らに養育されてきたことに思いを至せば、いずれの監護養育に服すべきかというような重大な事項の判断については未だ十分な意思能力があるとはいえないから(最判昭和三五年三月一五日民集一四巻三号四三〇頁参照)、たとえ、被拘束者が拘束者ら方に助けを求めて立ち寄り、それ以降、請求者らのもとに帰るのを嫌がっている事実があるとしても、これをもって、被拘束者の自由な意思によるものということはとうていできない。したがって、拘束者らは、むしろ、被拘束者を親権者たる請求者らに引き渡すべき義務を負っているものというべきであって、かかる義務を怠り、逆に請求者らの引渡しの要求を無視してこれを留め置いていることは、その住居に施錠して外出を不能にしあるいは実力をもって引き止めるなどのことはなくとも、人身保護法にいう拘束にあたるものというべく、右拘束者らの主張は採用し難い。

そして、親権者は、一般にその子を監護養育すべき権利と義務を有するものであるところ、拘束者らが、被拘束者の親権者ではなく、また、既に監護権を喪失し、被拘束者をなんらの権限もなく違法に拘束しているものであること叙上のとおりであり、他方親権者である請求者らには、親権もしく監護権を喪失すべき事情や被拘束者を請求者らのもとに置くことが明らかにその福祉に反するものと認むべき事情がないばかりでなく、むしろ、請求者らは、美容院を経営して通常の資力を有し、これまで休暇中には被拘束者を呼び寄せる等して親らしい愛情を被拘束者に示し、一応通常の監護養育の能力を有するものと認められるので、本件拘束の違法性は顕著なものというべきである。

この点に関して、請求者らは、被拘束者が請求者らのもとに復帰することは、再び請求者太郎の暴力行為を招き、被拘束者の福祉に明らかに反するに主張し、請求者らは、被拘束者に対し性急かつ強引にその監護教育方針を貫徹しようと焦り、殊に請求者太郎にはその傾向が顕著にみられ、家庭裁判所の調停前の仮の処分を無視して被拘束者を実力で連れ戻そうとするなど親の権威と愛情を示そうとする余り、自己本位の行動をとり、かえって被拘束者に恐怖心と不信感を抱かせ、同人をして請求者らのもとに復帰することを拒否せしめるに至らせたことが窺われないわけではないが、請求者らの性急・強引な態度と被拘束者の離反は、請求者太郎の性格に由来しているところがあるとはいえ、長らく第三者のもとで監護養育を受けた子と親権者とが新しく親子共同生活を開始して間もない初期の段階において多かれ少なかれ見られるものであり、請求者太郎の暴力行為といっても異常なものではなく、さらに被拘束者の復帰に関する意見も年令及び現在の監護環境からの制約を免れず、そのためこれも永続的なものとは認められないこと、その他請求者らの監護教育能力全般を考慮するとき、右の諸事実を過大に評価することは慎まなければならず、ましてや被拘束者が請求者らのもとに復帰することが、長期的にみて被拘束者の福祉に明らかに反するとは到底いえず、他に拘束者らの右主張を疎明するに足る資料はなく、右請求者らの主張は採用し難い。

以上説示のとおり拘束者らが、被拘束者をそのもとに置くことは違法な拘束であって、しかもそれが顕著であるというべきであるから、請求者らの本件請求は理由がああるものとしてこれを認容し、被拘束者を釈放し、かつ被拘束者の年令その他諸般の事情を勘案して同人を請求者らに引渡すこととし、手続費用の負担につき人身保護法一七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺昭 裁判官 太田豊 中川隆司)

<以下省略>

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